私がインドネシアに興味を持ったのは、2016年7月のこと。
当時、県内大手の自動車ディーラーへ勤務していた私に「職業訓練校の指導員としてインドネシアに向かってほしい」という上司の一言がきっかけで
インドネシアに単身渡ったのがはじまりだった。
現地で2年間勤務していくなかで、現地で懸命に働く人達と交流も芽生え職業訓練校には多くの生徒が日々訪れた。
ある日、知人の紹介で、インドネシアで日本人学校を営むシャムさんという方にお会いした。
彼は、生活が苦しいインドネシアの子供たちに「日本で働く術」を教えていた。
「ヒロさん、ここにくる子たちは日本に憧れを抱いて、いつか日本で働きたいと思っている子たちなんです」
「でも、日本で働くことは言葉の壁や文化の違いなどが原因でとてもハードルが高いのが現状です」
「ヒロさんのようなインドネシアの文化に触れてくれている人達の協力が必要です」
その言葉を聞いた私は、自分にも何かこの子たちに協力できることはないだろうかと日々考えた。
愛媛からインドネシアへ
市場開拓に取り組む想い1984年生まれ。インドネシア南スラウェシ州バンタエンにて自動車整備士指導者養成プロジェクトの技術指導員として2年間のソフトスキル、技術指導を経験。 2022年にインドネシアの人材紹介業「JAPANNESIA」を創業。現地のパートナーと共に日本企業の人手不足解消に取り組んでいる。
2016/07/05
自動車整備士指導者養成プロジェクト
長期滞在専門家としてインドネシアを訪れた-
2022/03/20
職場を退職。起業に向けた準備にとりかかる
2年間のインドネシア勤務が終わった後も相変わらず現地の子たちの頑張る姿が頭から離れなかった。考えた末に起業を決意。2022年に17年務めた職場を退職した。私が立ち上げようと思っている事業はインドネシアと日本をつなぐ人材紹介モデルで、
「私自身が独自のインドネシアコミュニティを構築していること」
「ソフトスキルをはじめとする日本で働くための姿勢を徹底して教えていること」
「インドネシアで日本語教育機関とパートナー契約を結んでいること」が事業モデルの強みである。
ビジネスモデルは仕上がったものの、実際に起業をするためには資金調達や市場開拓など外部からの専門的なアドバイスが必要だった。 そんな流れでビジネスアシスト四国の植松さんにお会いすることとなったのだった。 私が事業計画を話すと、植松さんは「いいですね。協力できることは何でも協力しますからいつでも相談してください」と快く補助金や事業についてのアドバイスをしていただけた。 2022/05/05
あとがき
色々な人とのつながりで「JAPANNESIA」があることを大変うれしく思う。私が2016年にシャムさんと話した何気ない会話が数年後事業に結びつくなんて想像もしなかったが、いまでは現地のパートナーとしてシャムさんとも交流を深めている。
ストーリーが生まれる
事業相談